海老瀬城(えびせ)
 別称  : 月夜城、善慶の城
 分類  : 山城
 築城者: 前田氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : 七尾氷見道路氷見北ICから車で5分


       <沿革>
           『日本城郭大系』には長沢善慶が拠ったとも、天正十三年(1585)の富山の役で前田利家に
          寝返った阿尾城主菊池武勝が一時在城したとも伝わるとあるが、典拠は定かでない。
           ただし、現存する遺構は明らかに織豊系城郭の縄張りである。


       <手記>
           海老瀬城は阿尾川と余川川に挟まれた丘陵地帯の1峰にあり、尾根伝いに先っちょまで行く
          と、海に突き出た阿尾城があります。氷見あいやまガーデン北西の林道沿いに「海老瀬城」と
          書かれた標柱と杖や用意されていて、そこから切り通し道を峠まで進んだところで左手に分け
          入り、緩やかな斜面を遡っていくと、やがて外郭の土塁が現れます。かつてキャンプ場か何か
          だったのか、人の手が入っていて見通しも利き、遺構の状況も良好な優良物件です。
           上述のとおり縄張りははっきりと織豊系で、主郭の前方には2つの馬出し状の曲輪に加えて
          小さな馬出しが別個に付属しており、その外側を帯曲輪状の外郭が囲繞しています。直線と
          折れを基調とし、すべての虎口は土橋で制限されるなどシステマティックな構造が特徴です。
          他方で曲輪や設備はかなり小規模で、また土塁は低く堀は浅く、やれ馬出しだなんだと言った
          ところで、ほとんど実戦の役には立たないだろうと考えられます。
           また、非常に緩やかで広々とした丘の頂部という城の立地も、特筆すべき点の1つでしょう。
          長沢善慶なる人物がいたとすれば、海老瀬城の北の森寺城主となった長沢光国との関連が
          考えられます。しかし、現存する遺構の下に長沢善慶の城が埋もれている可能性はゼロとは
          言いませんが、在地領主が城館を営むような地形には、どうにも思えません。
           城の防備が南方に集中していることからも、海老瀬城は富山の役に際して築かれた前田方
          の陣城と考えるのが妥当であると思われます。

           
 林道からの入口。
外郭南辺の土塁。 
 同上。
外郭の虎口か。 
 小規模な馬出し。
同上。 
 馬出し状曲輪(前)の土塁。
同上。 
 馬出し状曲輪(前)内部のようす。
馬出し状曲輪(後)の折れをもつ土塁。 
 馬出し状曲輪(後)の張り出し状土塁。
馬出し状曲輪(後)の虎口。 
奥に主郭虎口も見えています。 
 外郭から馬出し状曲輪(後)に
 直接入る喰い違い虎口。
主郭東辺の外郭。 
 主郭虎口。
主郭のようす。 
 主郭から前方を望む。
竪堀跡。 
 堀底道沿いにあるコの字型区画と土塁。
同上。 


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