三根山陣屋(みねやま) | |
別称 : 嶺岡陣屋 | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 牧野定成 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR越後線巻駅から車で10分 | |
<沿革> 寛永十一年(1634)、長岡藩主牧野忠成の四男定成は6千石を分知され、三根山に陣屋を 建造した。実際の石高は1万1千石あったが、あえて1万石以上の大名とならないよう抑えて 申告したともいわれる。 三根山領牧野家は長らく交代寄合として続いたが、11代忠泰のときの文久三年(1863)に 至ってようやく高直しが行われ、1万1千石の三根山藩が成立した。しかし、慶応四年(1868) には戊辰戦争が勃発し、三根山藩は宗家長岡藩の影響下にあって主体的な行動がとれず、 長岡落城を受けて新政府に恭順した。明治三年(1870)には丹後峰山藩との混同を避ける ため嶺岡藩への改称を命じられたものの、翌四年(1871)には廃藩置県を迎えた。 なお、小泉純一郎元首相が所信表明演説で用いて流行語となった「米百俵」は三根山藩 にまつわる逸話である。戊辰戦争の後、敗者である長岡藩ではその日の食糧にも困窮して おり、これを見かねた三根山藩は本家に100俵の米を贈った。長岡藩士はその米が自分ら に支給されるものと待ちわびたが、藩の大参事・小林虎三郎はこれを売却し、代金を学校の 建設費用に充当した。藩士らは驚き虎三郎のもとへ詰め寄ったが、これに対して虎三郎は 「100俵の米も食えば忽ちなくなるが、教育に充てれば明日の1万、100万俵となる」と諭した とされる。 <手記> 江戸時代の交代寄合の陣屋として造営されたものなので、要害性はありません。嶺岡から さらに字を改めた峰岡集落の北側に、陣屋跡の三根山藩址公園があります。かなり面積は 広く整備された公園なのですが、陣屋に繋がるような遺構はなく、石碑やなんやがあちこち に建てられているのみです。 |
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三根山藩址公園の説明板。 | |
陣屋跡の石碑。 | |
櫓風の倉庫。 | |
米百俵の石碑。 | |
公園のようす。 |