深草館(ふかくさ)
 別称  : 深草塁、深草城
 分類  : 平城
 築城者: 堀内氏か
 遺構  : 土塁、堀、虎口
 交通  : JR中央本線長坂駅よりバス
       「大久保」バス停下車徒歩10分

       <沿革>
           『甲斐国志』に、「相伝フ清光ノ臣堀内某居之 子孫堀内下総守ノ子主税助ノ時城陥リ
          落魄セシト云々」「堀内下総守 深草城墟ト云所アリ 相伝ヘテ城主下総守 其次ハ主税
          助 宮内左衛門ナリト云」とある。
           『日本城郭大系』では、主税助が深草館を守って敗れたのは天正十年(1582)の織田
          信長による武田攻めによるものと推測している。


       <手記>
           深草館は、上の地図には書かれていませんが、西に西衣川が流れる段丘上に位置
          しています。この西衣川を遡ると、谷戸城に行きつきます。深草館のすぐ東には、同様
          に地図には書き込まれていない東衣川の東岸に南新井屋敷があり、やはり東衣川を
          遡ると谷戸城に至ります。『大系』では、これら3つの城館には何らかの相互関係があり、
          とくに谷戸城と深草館については、平時の居館と詰城の関係だったのではないかとする
          見方も提起しています。個人的には、確かに東西両衣川の水利を谷戸城が握っている
          という点で、深草館や南新井屋敷より上位であるというような上下関係はあったかもしれ
          ませんが、居館−詰城の関係とみるには、少々離れすぎているようにも思います。
           館跡へは、北西隅から西衣川を渡って入ることができます。城内は南北2つの曲輪に
          分かれており、北曲輪が主郭とみられています。北西隅から入ると、北曲輪になります。
          北曲輪は南曲輪の半分程度の面積ですが、四周を土塁で囲まれており、堅固なつくり
          となっています。南曲輪も土塁で囲まれていますが、南辺で途切れているところがあり、
          かつてはこちらが大手だったものと推測されます。途切れる手前にあたる南曲輪の南東
          隅には、土塁がひとしお大きく盛られた箇所があり、櫓台ないし物見台であった可能性
          が考えられます。
           館の西半分は西衣川で仕切られていますが、東辺から南辺にかけては、人工と思わ
          れる深い堀兼水路が巡っています。
           全体的に、谷戸城にははるかに劣るものの、深草館は規模も比較的大きく、かなり手
          のかかった城館であるといえます。堀内氏の素性については今一つはっきりしませんが、
          そこそこの大身領主だったのではないかと推測されます。ただ、源清光の頃からの旧臣
          というのは、いくらなんでも考えにくいですが。

           
 深草館跡を北から望む。
北西隅の館跡入口。木橋の下は西衣川。 
 北曲輪のようす。
北曲輪の土塁。 
 北曲輪と南曲輪の間の土塁と虎口。
南曲輪のようす。 
 南曲輪南東隅付近の土塁。櫓台か。
館跡東辺から南辺へと流れる堀兼水路。 


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