福釜古屋敷(ふかま)
 別称  : 殿屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 松平康盛
 遺構  : 堀跡か
 交通  : JR東海道新幹線/東海道本線三河安城駅
      からバスに乗り、「福釜町内会」下車徒歩5分


       <沿革>
           福釜松平家5代当主松平康盛の隠居所として、元和年間(1615〜24)に建造されたと
          される。福釜松平家は安祥松平長親の次男親盛を祖とし、当屋敷南西の福釜城を居城
          としていた。康盛の父康親は徳川家康の関東移封に従って転出し、関ヶ原の戦い後に
          故地の福釜1千1百石を与えられた。
           康盛が没した後の古屋敷の扱いについては定かでない。旗本福釜松平家の本家は、
          8代康永のときに無嗣断絶となっている。


       <手記>
           福釜駐在所向かいの生活道路を入ると鈎の手の折れがあり、その脇に数軒ある旧家
          のあたりが、屋敷跡とされています。裏手の畑との境に堀跡の水路があるということです
          が、民家の敷地をまたがずには行けそうになく、断念しました。件の鈎の手は、おそらく
          当時の道割を踏襲しているものと思われます。
           屋敷跡に近い福釜町西天の交差点角には、「福釜城主松平家榮地」と彫られた石碑
          が建っています。ですが、福釜城はそこから南西300mほどとやや離れたところにあり、
          交差点はまず城外と考えられます。したがって、古屋敷も福釜城跡を利用したものでは
          ないと推測され、ここでも福釜城とは別項としました。

           
 福釜古屋敷周辺現況。
鈎の手に折れた道。 
 福釜町西天交差点角の石碑。


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