| ガルドーロ城 (Castello di Gardolo) |
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| 別称 : なし | |
| 分類 : 山城 | |
| 築城者: ガルドーロ家か | |
| 交通 : トレント中央駅からバスに乗り、「Gardolo S.Anna Carpenedi」下車徒歩20分 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> トレント司教領主アーデルプレート2世による1161年の文書において初めて言及されているが、 築城の経緯は不明である。1184年には、アーデルプレート2世の2代後継にあたるアルベルト3世・ ディ・マドルッツォがヴァセンジェリーノ・ディ・ガルドーロから城の一部と付随する領地を購入した。 このことから、ガルドーロ城を本貫とするガルドーロ家の存在がうかがえる。 1212年、グイトルド・ディ・トレントとその甥ミローネが、城の半分をトレント司教領主フェデリコ・ ヴァンガに売却した。トレント家の出自については定かでない。 1376年までは記録に見えるとされるが、その後は顧みられることなく、自然廃城となったものと 推測される。 <手記> トレント市街の北にガルドーロ地区があり、その背後丘上にガルドロ・ディ・メッツォという葡萄畑 に囲まれた小さな集落があり、その裏手の小山がガルドーロ城跡です。周囲を窺ってみたものの 登山口らしきものは見当たらず、西麓から隙間を見つけて直登しました。 尾根筋に出れば踏み分け道があり、階段状の腰曲輪が連なっています。明瞭な削平地と切岸 が展開するようすは、写真だけなら日本の山城と見紛うばかりです。堀切や土橋のような地形も みられましたが、どこまでが遺構かは判断に窮します。 頂部に近づくにつれて、露岩が目立つようになります。山頂主郭の南西から南にかけての斜面 には石塁が残っていますが、一部は後世の造作のようにも見えました。主郭の南側にはもう一つ 小さなピークがあり、経年劣化したツリーハウスが建っています。北側斜面には明らかに後世の 掘り込み式焚火スペースがあり、かつてはちょっとしたアウトドア園地として整備されていたので しょう。当時の石塁の大部分は建材などとして持ち去られたか、あるいは時代的に建物の多くが もともと木造だったのかもしれません。城山の規模的にあまり大きな城郭は建てられず、トレント 司教領主の支配が安定・拡大するにしたがって、無用の長物と化したものと推察されます。 このように埋もれた古城となってしまったガルドーロ城には、私のような重度の城跡オタクでも なければ寄り付かないでしょう。日本の山城気分が味わえるので、日本の中世城郭ファンには おすすめです笑 ちなみに、北西の尾根先麓には小さな教会があり、その脇の泉水が冷たくてとても美味でした。 |
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| 直登中のようす。 | |
| 腰曲輪群の削平地と切岸。 | |
| 同じく切岸。 | |
| 堀切跡か。 | |
| 途中の露岩。 | |
| 同上。 | |
| 同上。 | |
| 土橋か。 | |
| 主郭を見上げる。 | |
| 主郭南西斜面の石塁。 | |
| こちらは後世の造作か。 | |
| 主郭南側の小ピーク。 | |
| 小ピークとツリーハウス。 | |
| 主郭背後の急崖を見下ろす。 | |
| 背後から主郭を見上げる。 | |
| 城山からの眺望。 | |
| 主郭東側斜面の小平場。 遺構かは不明です。 |
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| 同じく掘り込み式の焚き火場。 こちらは戦後の造作でしょう。 |
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| 北尾根のようす。 | |
| 北尾根下の峠の小さな教会。 左側の泉水が冷たくてたいへん美味でした。 |
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| ガルドロ・ディ・メッツォ集落へ上がる古道。 | |