祇園之洲砲台(ぎおんのす) | |
別称 : なし | |
分類 : 砲台 | |
築城者: 島津斉彬 | |
遺構 : 石垣 | |
交通 : JR鹿児島本線鹿児島駅徒歩10分 | |
<沿革> 嘉永六年(1853)、島津斉彬によって築かれた。祇園之洲自体は、斉彬の父斉興の代の天保年間 (1830〜44)に、稲荷川の川浚いをして造営されたとされる。 文久三年(1863)の薩英戦争では、鹿児島にいくつかあった砲台のなかでも、もっとも激しい砲撃戦 が行われたといわれる。3時間余の戦闘で、祇園之洲砲台はイギリス艦の砲撃により破壊された。 <手記> 祇園之洲砲台跡は、現在石橋記念公園となっています。この公園は、鹿児島城下の甲突川に架け られた石橋群のうち、現存する3つの移築保存を目的として平成十二年(2000)につくられたものです。 ただ、橋を移築するといっても、園内を流れる稲荷川には1本も架かっておらず、わざわざ人工的に水 を流した20mほどの疑似河川を3基つくり、そこに橋を架けるという手間とお金のかかった公園です。 この、石橋がメインの公園の一隅に、砲台跡の石垣と標柱があります。祇園之洲に置かれた砲台は 6基とされており、今目にする石垣で十分カバーできるように思われますが、この石垣が部分的なもの なのか、ほぼ全体が残っているのかは分かりません。 ちなみに、すぐ裏手の多賀山公園は、島津氏の初期の居城東福寺城址です。 |
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砲台の石垣と標柱。 | |
砲台石垣。 | |
おまけ:公園内に移築された高麗橋。 |