五番領城(ごばんりょう) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 山崎兵庫頭 | |
遺構 : 堀跡 | |
交通 : JR湖西線安曇川駅徒歩15分 | |
<沿革> 高島七頭の1つ山崎氏の居城とされる。『高島郡誌』には、「応安二年(1369)佐々木氏の 麾下山崎兵庫頭 此地を領有し 城郭を築きて」とある。山崎氏は他の七頭とは異なり、同じ 佐々木姓ではあるが、高島氏流ではなく愛知氏流とされる。 元亀三年(1572)の織田信長の高島攻略により、五番領城の山崎氏も他の高島の諸城と 同様、信長に屈服した。山崎氏は苗字を中村と改めて帰農し、城も廃城となった。 <手記> 五番領城は、安曇川南岸の平野部にあります。高島郡を南北に走る街道と、安曇川沿い に朽木谷へ向かう街道の交差する地にあり、交通上も重要なところにあったと思われます。 信広寺および天満宮一帯が、城址とされています。『郡誌』の記述によれば、天満宮は 兵庫頭により城の鬼門に守護神として祀られたということなので、天満宮が城の北東隅で あると考えられます。 また、信広寺の西には「西良(にしら)」の小字が残っているそうです。、『日本城郭大系』 によれば、これは「西堀」の字が「西浦」→「西良」と転じていったものとされています。寺の 西側にはその堀跡と思しき、緩いカーブを描く耕作地があります。 |
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天満宮。城の北東隅にあたります。 | |
信広寺。 | |
信広寺西側の耕作地。堀跡か。 |