御殿館(ごてん)
 別称  : ゴテン城、古天城
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、土塁、空堀、虎口、削平地
 交通  : JR仙山線愛子駅徒歩25分


       <沿革>
           『仙台領古城書立之覚』には「ゴテン城」として紹介され、「野武士共楯籠候」とのみある。
          また『宮城郡誌』にある「国分三十五城」の1つ「古天城」と同一とみられている。築城廃城
          時期や城主等詳細については一切不明である。


       <手記>
           御殿館は、斎勝川沿いの独立丘上の城です。山上へは、西麓の林道か東麓の諏訪神社
          から登れます。西麓から登った方が分かりやすいです。
           御殿館を一言で表現するなら、謎な城です。御殿館は、大きく分けて西側の主郭部と東側
          の曲輪群から成っています。東の曲輪群は、祠が祀られている3〜4ヶ所程度の削平地から
          成っているのですが、それでもその削平すら曖昧で境目ははっきりしません。
           東側の曲輪群と主郭の間には空堀と土橋があり、これはしっかりと作られているように見え
          ます。主郭も内部は削平が不完全で、自然地形そのままに、フック状に細長い曲輪となって
          います。御殿館最大の見どころは、主郭西辺の土塁と空堀です。この土塁は、南北方向の
          直線を基調としていますが、中間付近で出枡形状に折れ、そこに虎口が設けられています。
          すなわち、主郭西辺と東辺のみが城としての体を成しているほかは、ほとんど原地形に近い
          状態となっています。とくに主郭西辺は近世城郭に近い縄張りまで有しており、アンバランス
          さが際立っています。
           この城の不思議をどう解するのか。私は、この城は築城のかなり早い段階で打ち捨てられ
          たのではないかと推測しています。御殿館できちんと整備されているのは主郭の西辺と東辺
          のみ、すなわち主郭の入口のみです。このことから、主郭の入口という城の最も重要な部分
          から工事が進み、そして他の部分は下ごしらえのままの段階で築城が中断された。そのため
          アンバランスな遺構を今日に残す城となったのではないでしょうか。
           『書立』の「野武士共楯籠候」の意味するところは分かりませんが、あるいは打ち捨てられ
          ていた城を野武士の一団が一時的に占拠したのかもしれません。

           
 御殿館遠望。
主郭の水分神社。 
 主郭西辺出升形の虎口。
主郭西辺の空堀と土塁。 
 鉤字に折れた主郭西辺の土塁。
主郭東辺の空堀。 
 東側曲輪群の一画。物見台か。
東側曲輪群削平地の1つ。 
 同上。城内南東端にあたります。
 中央の倒木裏に祠があります。
上の削平地の一段下にある削平地。 
 主郭からの眺望。


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