梶原館(かじわら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 梶原景時か
 遺構  : なし
 交通  : JR中央線/京王線高尾駅よりバス
       「宮の前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』および『武蔵名勝図会』に、梶原景時居館跡と紹介されている。建久二年
          (1191)に景時が勧請した際の棟札があったが、太平洋戦争の戦災で焼失したとされる。この棟札に
          ついては、『日本城郭大系』で疑問が呈されている。
           いずれにせよ、この地に景時の館があったというのは伝説の域を出るものではない。

       <手記>
           梶原館は、梶原八幡神社周辺にあったと伝えられています。八幡神社は、城山川の氾濫原に臨む
          ゆるやかな丘陵の裾にあります。神社の裏手を中央自動車道が走っているため旧状は察しにくいの
          ですが、とりたてて要害の地というわけではないようです。
           神社の参道脇には「梶原杉」と呼ばれる御神木があり、残念ながら今は切株のみですが、景時の
          お手植えと伝えられています。こうした「伝承」は数々残っているものの、「確証」については何ひとつ
          ありません。地形上からも、館があってもおかしくはないが、あるべきというほどでもないといった印象
          です。
           とかく南関東一円「梶原」と名の付くところには、総じて景時がらみの伝承があります。たいていは、
          地名が先にあって、後に景時と結び付けられるようになったものと思われます。

           
 梶原館跡周辺を望む。
梶原八幡神社。 
 御神木の梶原杉の切株。


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