今泉城(いまいずみ)
 別称  : 今泉館、今泉堀ノ内
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁跡、堀跡
 交通  : 小田急線秦野駅徒歩10分


       <沿革>
           大岳院と大岳院池の間にはかつて土塁があったとされ、また大岳院周辺には堀ノ内の小字が
          残っている。また、大岳院北西の八坂神社周辺には天王開戸という字名もある。開戸とは「垣内」
          すなわち城内にあたることを意味する地名と推測される。
           『新編相模国風土記稿』には「梅沢の追分より二里余にして旧塁あり、一色伊予守の城跡なり
          といへり」とある。永享の乱で自害した鎌倉公方足利持氏の奉行人であった一色伊予守六郎は、
          永享十二年(1440)に「今泉館」に立て籠もり抵抗を続けた。関東管領両上杉氏は、家臣長尾
          憲景・太田資光を派遣し、今泉館を攻めさせた。伊予守は敗れて下野へ逃れ、後の結城合戦へ
          とつながったとされる。この今泉館については、ここと海老名市の2つの比定地がある。ただし、
          『記稿』の示す場所は、大岳院より南に位置している。
           永禄二年(1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、桑原彌七郎なる人物が中郡波多野
          今泉に75貫文を領していたとある。あるいはこちらとの関連も考えられるが、詳細は不明である。

       <手記>
           今泉城址とされる大岳院は秦野駅の南西すぐのところにあります。寺の東側や南側は駅前の
          区画整理によって新興住宅地として整備されつつあります。それにつられてか、大岳院の本堂も
          とても寺とは思えない首相官邸のようなモダンな建物になっています(笑)。寺の西の大岳院池
          は、以前は養魚場だったようですが、現在では桜の美しい自然公園となっています。
           寺の改修や池周辺の公園化により、遺構は消滅してしまったたようです。『日本城郭大系』に
          よれば、寺の池端に土塁跡が残っていたそうですが、現在では美しい桜並木に変わっています。
          周辺を探索してみましたが、他に遺構らしきものは見当たりません。
           大岳院池は人造湖で、古くは湿原状の谷戸だったそうです。ここに限らず、秦野は有数の湧水
          地帯として知られ、往時は大岳院のある丘陵先端を取り囲むように湿地帯が広がっていたとみら
          れています。すなわち、今泉城はこれらの湧水群や、南を流れる室川流域を押さえるための城で
          あったと推測されます。丘陵先端といっても、周囲との比高差はほとんどなく、防衛能力に関して
          は疑問です。よって、一色伊予が立て籠もった今泉館については、崖端の城である海老名市の
          今泉館の方が妥当ではないかと思われます。
           秦野市は本当に水の豊かなところですので、訪れる際にはポリタンク、最低でも空ペットボトル
          を用意しましょう。

           
 大岳院池端から今泉城址(大岳院)を望む。
 桜並木のあたりに、以前は土塁跡があったそうです。
字天王開戸に鎮座する八坂神社の大椋の木。 


BACK