原町陣屋(はらまち)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 出浦盛清
 遺構  : なし
 交通  : JR吾妻線群馬原町駅下車


       <沿革>
           関ヶ原の戦いの後、真田信幸は吾妻をはじめ西軍についた父昌幸の領地を襲封した。
          信之(信幸から改名)は、慶長十八年(1613)に一国一城令に従って吾妻地方の中心
          拠点であった岩櫃城を破却し、城下の原町に新たに陣屋を設けた(慶長十九年(1614)、
          元和二年(1616)とも)。代官には、家臣出浦対馬守盛清が任じられた。その後の陣屋
          について、詳細は不明である。


       <手記>
           原町陣屋は、JR吾妻線群馬原町駅前、原町赤十字病院のあたりに存在したとされて
          います。当然ながら、遺構などは何もありません。


           


原町陣屋周辺現況(原町赤十字病院)。


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