服部六郎時定館(はっとりろくろうときさだ)
 別称  : 宮城氏宅、服部六郎時定屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 服部時定か
 遺構  : 堀跡か
 交通  : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、
      「服部」下車徒歩3分


       <沿革>
           『平家物語』に登場する服部六郎時定の館跡と伝わる。服部時定は平家に伊賀国服部郷の
          所領を没収されていたが、源頼朝の追討を受けた信太義憲(志田義広)を伊賀国内の千戸で
          自害に追い込んだ功により、旧領に復したと伝わる。他方で『吾妻鏡』によれば、北条時政の
          甥や従弟などといわれる北条平六時定が、文治二年(1186)に源頼朝の命を受けて源頼政の
          孫・源有綱を討ち取ったとされる。さらに『源平盛衰記』では、服部氏の祖は服部家長とされ、
          六郎時定の父とも同一人物ともいわれる。北条氏および六郎時定、家長のいずれも平氏流を
          称している点では共通しているが、六郎時定の実在性については確証がない。
           『三国地志』では、時定の末裔の宮城氏がその後に拠ったとしている。宮城氏の詳しい動静
          は明らかでない。


       <手記>
           服部町の台上寺が服部六郎時定館跡とされています。門前に説明板がありますが、上述の
          とおり服部時定については伝説上の人物として実在性にはかなり懐疑的な内容でした。また、
          説明文には境内の北と東に土塁が残るとありますが、現存はしていないようです。他方で東辺
          の道路に沿って細く低まった畑地が延びており、堀跡ではないかと思われます。国土地理院の
          年代別航空写真に照らすと、その東側も城域に含まれているように見えます。
           服部時定については、やはり実在性には留保が必要なのでしょう。ただし、周辺が服部氏の
          発祥ないし本貫地である可能性は高いと思われ、服部川を2〜3kmほど遡ると高畑や荒木にも
          服部氏館跡があります。

           
 台上寺と館跡説明板。
東辺の堀跡状の畑地。 
 北辺のようす。


BACK