ハイムブルク城
(Heimburg)
 別称  : ホーネック城、ホーエンエック城など
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: マインツ大司教
 交通  : ニーダーハイムバッハ駅徒歩15分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           13世紀末、ハイムブルク城の建つニーダーハイムバッハ周辺は、南北をライン宮中伯領に挟まれた
          マインツ大司教の飛び地であった。このため、マインツ大司教は1290年もしくは1294年に、ニーダー
          ハイムバッハでの築城を命じた。城は1305年に完成し、当初はホーエンエック城やハインエック城、
          ハーネック城などと呼ばれていた。
           その後、1340年まで城の改築が断続的に行われた。しかし、1344年にトレヒティングスハウゼンの
          町やライヒェンシュタイン城をライン宮中伯が手放すに及んで、ハイムブルク城の戦略的価値は急速
          に低下した。
           1438年まではマインツの下級裁判所(Untergericht)の所有となっていたが、その後は荒れるに
          任せて朽ちていった。プファルツ継承戦争さなかの1689年、周辺の諸城と同じく、ハイムブルク城も
          フランス軍によって著しく破壊された。
           1787年、ニーダーハイムバッハの町はヤーコプ・メルテスに与えられた。1808年には廃墟となって
          いた城も、ヤーコプに譲り渡された。
           その後、城の所有者はたびたび代わったが、19世紀後半にエドゥアルト・ラーベネックが買い取り、
          居住用に修築した。また、1920年にはフーゴー・シュティンネスが所有者となり、城をネオ・ゴシック
          様式に改築した。今も個人所有となっており、公開はされていない。

 
       <手記>
           ライン渓谷の城のなかではかなり低いところにあり、防御力については疑問符な城です。すっかり
          町に溶け込んでいる感じで、あれが城ですと教わらない限り、うっかりスルーしてしまいそうな佇まい
          です。
           逆にいうととてもアクセスしやすい城なのですが、それだけに非公開なのが残念です。ガイドブック
          には「ホーネック城」として紹介されていることも多いようです。

           


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