日比津城(ひびつ) | |
別称 : 乾屋敷城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 野尻掃部か | |
遺構 : なし | |
交通 : 市営地下鉄東山線本陣駅徒歩15分 | |
<沿革> 南北朝時代に、野尻掃部が城主であったとされる。野尻氏は信濃国の出身といわれる が、系譜は不明である。 『日本城郭大系』には、「清洲を本拠とする織田氏」が絶えず監視を怠らなかったとある。 この清洲の織田氏が清洲織田家を指すとすれば、少なくとも同家が成立する文明八年 (1476)まで、清洲城へ移った織田信長を意味するなら弘治元年(1555)までは、同城と 野尻氏が存続していたことになる。それ以降の日比津城および野尻氏については定かで ない。 <手記> 大円寺周辺が日比津城跡と伝えられ、同寺には野尻掃部と、その家臣ですぐ北にある 栗山城主とされる野尻藤松の墓があります。「今昔マップ」の古地図をみると、上に図示 した形でくるっと大円寺周囲が囲われており、おそらくこれが城の外周だったものと推察 されます。 現状は、寺の参道前に「日比津城主御菩提所」と彫られた石標がある以外は、とくに 城館跡につながるようなものは見当たりません。 |
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大円寺参道前。 「日比津城主御菩提所」の石標があります。 |
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大円寺のようす。 |