東川城(ひがしかわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 植田氏
 遺構  : 削平地、堀跡か
 交通  : 琴電長尾線農学部前駅から車で15分


       <沿革>
           戸田城主(植田城主)植田美濃守安信の属城と伝えられる。城の詳しい経歴は定かで
          ない。


       <手記>
           県道42号線を南下すると、朝倉の開けた山里から渓谷部に差し掛かるところで、ひとつ
          峠を越えます。その右手にある小丘が東川城跡です。丘の上にはお社が祀られていて、
          その参道下脇に城址碑が建てられています。
           丘の周囲は岩がゴツゴツしていて、頂上もさほどスペースはなく、城としての造作も判然
          としません。石碑の碑文には、植田城と並んで安信の居城であり、安信は長宗我部元親
          の侵攻に抗して討ち死にしたとあります。しかし、安信は豊臣秀吉の四国平定後に仙石
          秀久に仕えていますし、規模から見てとてもここが名族植田氏の居城とは思えません。
           あまりに小さく遺構もはっきりしないため、諸サイトなどでは道を挟んだ東側の尾根筋も
          城域に含まれるのではとする向きがあるようです。ということで、小生もちょいと確かめに
          登ってみました。東側の尾根へは、その南麓の民家との間から登り道が通じています。
          尾根の小ピークにはお墓があり、その東は堀切とも土橋ともつかない細い鞍部となって
          います。城の遺構かどうかはこちらも判断に窮しますが、少なくともかつては峠越えの道
          がもう1本、この鞍部を抜けていたように思われます。
           ひとつ言えるのは、東側の尾根も城域だったとしても、やはり小城には違いないという
          ことです。おそらく、南麓の民家付近に屋敷があり、丘の上には峠道を見張る監視所や
          関所のような施設があったという程度ではなかろうかと、個人的には推察しています。

           
 北から東川城跡を望む。
城址碑。 
 丘の頂上を見上げる。
丘上のお社。 
 東側の尾根を望む。
尾根上のお墓のある平坦地。 
 平坦地背後の鞍部。


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