千葉城(ちば)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 出田秀信
 遺構  : なし
 交通  : 熊本市電「熊本城・市役所前」電停
       または熊本電鉄藤崎線藤崎宮駅徒歩5分


       <沿革>
           応仁・文明年間(1467〜87)ごろに、出田秀信によって築かれたと伝わる。出田氏は、
          菊池経宗の弟経家の子経信にはじまるとされる。秀信は本家菊池重朝の有力被官として
          仕えたが、文明十七年(1485)の阿蘇氏の内紛に端を発する馬門原の戦いで、阿蘇惟憲
          を支援する相良為続や宇土為光と戦い討ち死にした。
           秀信の子重綱が跡を継いだが、菊池氏が勢力を弱めていくなかで重綱の器量に不満が
          あったのか、千葉城主は楠原城の鹿子木親員(寂心)に替えられた。明応五年(1496)、
          親員は同じ茶臼山丘陵の南端に隈本城を築いて移り、千葉城は廃城となった。

          
       <手記>
           現在の熊本城には、前身となる隈本城と千葉城がありましたが、これらを同一に扱うか
          どうかは資料によって異なっています。ここでは、「隈本」城に対して千葉城と別個の名称
          をもっていること、千葉城には廃城となっていた期間があり、隈本城と違い今日の熊本城
          との間に連続性がないこと、そして江戸時代の絵図に「千葉城址」と記入されていること
          から、ここでは別項としています。
           千葉城址は、今はNHKの放送局となっています。ここは、茶臼山丘陵からコブのように
          飛び出た舌状地形の先端にあたり、三方を坪井川が囲んでいます。古図には上下2段の
          削平地をもつ丘として描かれていて、これがほとんど廃城時そのままのようすではないか
          と思われます。
           遺構はなにも残っていませんが、南麓にNHKによって設置された石碑があります。

           
 千葉城橋から千葉城址を望む。
千葉城址碑。 
 熊本城天守から千葉城址を望む。
 空が霞んでいるのはPM2.5のせいです(天気は快晴)。
 この日は外出中止要請が出ていました。
 


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