朝日山城(あさひやま) | |
別称 : 氷見城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR氷見線氷見駅徒歩25分 | |
<沿革> 南北朝時代の文献に見られる氷見城に比定されるが、確証はない。 北西麓の鞍川は、戦国時代に神保家臣鞍川氏が領しており、その関連も指摘されている。 天文十九年(1550)、能登守護の畠山義続に対して重臣の遊佐続光・温井総貞らが反乱を 起こすと(七頭の乱)、鞍川清房と鞍川清経(父子か)は七頭と呼ばれた重臣側に与したが、 両名とも戦死したとされる。ただ、七頭の乱では七人衆体制が成立して義続は隠居・出家に 追い込まれるなど七頭側が事実上勝利している。鞍川氏は直接には遊佐氏に従属していた とされることから、同二十二年(1553)に続光と総貞が争い、大槻一宮合戦で続光が敗れて 加賀に落ち延びた際に敗死したとする説もあるが確証はない。 いずれにせよ、清房・清経の死を以て鞍川氏の動静は絶えるため、朝日山城が鞍川氏の 詰城だったとすればこのときに廃城となったものとみられている。 <手記> 氷見市街の背後に朝日山公園があり、そのなかの2021年にオープンした「見晴らしの丘」 エリアが朝日山城跡です。造成前は比較的規模の大きな堀切が1条残っていたそうですが、 見事に消滅しています。昨今は史跡保存がしばしば論点となり、地域のアイデンティティや 観光資源として活用されることが多くなっているというのに、アリでも踏みつぶすかのように 貴重な遺構が消されてしまったのは痛恨の極みというべきでしょう。 愚痴はさておき、造成前にも城館と結びつくものは件の堀切だけだったようで、具体的な 規模や構造はもとより築城主や年代なども気になるところです。選地としては、南北朝時代 というより鞍川氏の詰城とみたほうが妥当に思います。とまれ公園としてはきれいですが、 城跡としてはもやは眺望のほかに見るべきものもないでしょう。 |
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阿尾城跡から朝日山城跡を望む。 | |
朝霧に沈む朝日山城跡。 | |
同上。 手前電灯付近が堀切跡のようです。 |
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おまけ:訪城前に見に行った雨晴海岸のけあらし |