平賀氏館(ひらがし)
 別称  : 平賀忠晴屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 平賀氏
 遺構  : なし
 交通  : JR 常磐線北小金駅徒歩15分


       <沿革>
           建治三年(1277)、鎌倉武士平賀忠晴は日蓮に帰依し、その弟子日朗によって忠晴の
          屋敷内に長谷山本土寺が建立された。平賀氏は坂東平氏流上総氏一族印東氏の庶流
          とされるが、詳しい系譜は不明である。
           日朗は忠晴の兄とされる平賀有国の子といわれる。また、忠晴の2人の子日像・日輪
          兄弟は、日朗の弟子となった。有国の妻は、印東祐昭ないし工藤祐経の娘とされ、有国
          の死後忠晴に再嫁したとされる。事実であれば、日朗と日像・日輪は従兄弟にして異父
          兄弟ということになる。
           平賀氏のその後については不明であるが、本土寺は池上の長栄山本門寺、鎌倉の
          長興山妙本寺とともに、「朗門の三長三本」として、今日に至るまで栄えている。


       <手記>
           本土寺は「あじさい寺」として知られ、他にも菖蒲や紅葉の季節を中心に多くの観光客
          を集めている寺院です。富士川に向かってわずかに開いた窪地にあり、鎌倉武士の居館
          として適した場所であったと思われます。
           旧水戸街道小金宿北隣の北小金駅から並木の残る参道を北上すると、窪地の最奥の
          台地上に山門があり、そこから窪地を下った先に本堂があるという、少々変わった構造を
          しています。おそらくこの本堂周辺に館があったものと思われ、本堂前には窪地の低地を
          利用した菖蒲園が広がっています。

           
 本土寺本堂。
本堂脇の菖蒲園のようす。 


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