細越城(ほそごえ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 細越道信か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、土橋、虎口
 交通  : 北陸自動車道柏崎ICから車で20分


       <沿革>
           越後北条氏重臣細越氏が城主で、初代は細越備前守道信(将監)とされる。道信の後は監物奇光
          (寄光?)、大膳大夫と続いた。細越大膳大夫の代の天正六年(1578)に御館の乱が勃発し、主家の
          北条高広・景広父子は上杉景虎方に与した。乱を境に細越氏の動静が途絶えており、北条氏と共に
          没落したものとみられる。その後の細越城については不明である。


       <手記>
           細越城は、名前の通り鵜川沿いと芋川沿いを切り分ける細い峰の上に築かれています。南東麓の
          松尾神社から登山道が付いており、こちらが大手ということから、境内は居館跡ではないかと思われ
          ます。
           この城の見どころはなんといっても数か所に設けられた畝状竪堀群でしょう。また城域の前後には
          3〜4重の連続堀切が設けられており、やはり見ごたえがあります。とはいえ、これらの遺構が拝める
          のも明るく整備されていればこそで、案内いただいた地元の在住のフォロワー様によれば、保存会が
          近年発足し、かつては藪に埋もれてよく分からなかったそうです。
           さらに主郭に至ると、どこからともなくチェーンソーの音が。城内を巡っていると、やがて作業音の主
          に会いました。なんでも、細越城の遺構に感激して下越からわざわざ定期的に通い、地権者の許可
          を得て樹木を伐採・整理しているのだそうです。この素晴らしい整備をなさっている本人に、まさかの
          偶然でお会いできたことに、フォロワーさんと2人でまた感激しきりでした。
           他方で、細越城はたしかに畝状竪堀をはじめとする多様で多数の堀が特徴的ですが、縄張り自体
          は本丸から三の丸まで縦に並び、それに腰曲輪や帯曲輪が付随するという比較的単調なものです。
          規模的には細越氏が独力で拡張したとは到底思えないことから、御館の乱に際して北条氏が既存の
          細越氏の詰城を急遽取り立てて防備を強化したものではないかと考えられます。

           
 細越城跡を北から望む。
登山口の松尾神社。 
居館跡か。 
 竪堀。
畝状竪堀群。 
 同上。
同上。 
 虎口を兼ねた畝状竪堀。
同上。 
 虎口上の畝状竪堀群。
主郭前方の堀切。 
 堀切前方の尾根筋。
 3条の堀切が続いています。
3条堀切の1条目。 
 同2条目と3条目。
主郭の段築地形。 
 主郭上段のようす。
主郭南東尾根の腰曲輪。 
 同上。
主郭背後の堀切。 
 同上。
二の丸上段を望む。 
 二の丸上段脇の堀ないし虎口跡。
二の丸の「乱穴」。 
用途は不明です。 
 二の丸の帯曲輪群。
二の丸背後の堀切。 
 同上。
三の丸のようす。 
 三の丸上段を望む。
三の丸の切岸と帯曲輪。 
 三の丸北西辺の畝状竪堀群。
三の丸背後の堀切。 
 堀切上部の土橋。
最後尾の二重堀切。 


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