細川城(ほそかわ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 細川義季 | |
遺構 : なし | |
交通 : J名鉄東岡崎駅よりバスに乗り、 「三菱自動車EV技術センター」下車徒歩7分 |
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<沿革> 室町幕府の三管領の一角を成した細川氏発祥の城館とされる。細川氏は、足利氏初代 足利義康の庶長子矢田義清の次男広沢義実の次男義季にはじまる。義季は足利義氏の 三河守護就任を受けて、細川郷に移り細川次郎を称した。鎌倉時代の細川氏は足利家の 庶流家の1つという程度で大した勢力ではなく、事跡もほとんど伝わっていない。 細川氏が歴史の表舞台に立つのは、義季の曽孫公頼・頼貞兄弟の子の代からである。 公頼の子和氏・頼春・師氏、頼貞の子顕氏らは、いずれも足利尊氏に従って各地で功績を 挙げた。彼らはいずれも幕府の要職や守護に就き、細川郷を離れたものとみられる。 <手記> 室町幕府のNo.2、江戸時代の熊本藩主、そして平成の日本国総理大臣を輩出した細川 家ですが、その本貫地が岡崎市にあるという事実は、あまり知られていないのではないで しょうか。そして現地でも、そこまで声を大にしているようには見えません。 細川城跡は矢作川沿いのごく浅く細長い舌状台地の先端に位置しています。上の地図 に示したポイントに小さな塚があり、その上に城址碑が立っています。塚が城の遺構なの かどうかはわかりません。 南には仁木町が隣接していて、こちらは細川義季の兄実国にはじまる仁木氏の本貫地 とされています。町内のどこかに館があったものと思われますが、こちらは完全に不明と なっているようです。 |
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城址碑の立つ塚。 | |
城址碑。 |