宝来城(ほうらい)
 別称  : 蓬莱城
 分類  : 平城
 築城者: 宝来氏
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 近鉄橿原線尼ヶ辻駅徒歩20分


       <沿革>
           筒井氏に属した衆徒宝来氏の居城といわれる。宝来氏の出自は不明だが、『満済准后日記』
          によれば、永享三年(1431)に箸尾氏が筒井城を攻めんと軍を起こし、まず「蓬莱城」を攻めた
          とされる。
           また『多聞院日記』には、永正三年(1506)に細川政元配下の赤沢朝経が大和へ攻め入り、
          秋篠・宝来の2氏が「自焼」したとあり、宝来城に火を放ったものとみられる。
           戦国時代後期以降の、宝来氏および宝来城の動向については詳らかでない。


       <手記>
           安康天皇陵として宮内庁に管理されいてる丘が、宝来城跡とされています。拝礼所が南側に
          ありますが、東麓の蓬莱神社脇の道を上がれば、その他の三辺に沿って外周を巡れます。
           方形館に出枡形状の張り出し部が付属した構造で、城としても天皇陵としても、規模は小さい
          と言わざるを得ません。古墳には詳しくないのですが、そもそもこのような形状をした陵がある
          のでしょうか。安康天皇は叔父を暗殺し、その子に仇として殺害された人物だそうで、墳陵が
          ささやかだったとしてもあり得ることとは思いますが、それにしてもだいぶ特異に感じます。
           逆に城館としてみれば、小ぢんまりとしつつも遺構をよくとどめていて見応えがあるのですが、
          いかんせん天皇陵といわれると疑問符が湧くため、やや未消化感の残る訪城となりました。

 東から宝来城跡を望む。
東辺の堀。 
 北年の堀と土塁。
土塁上の塚状のでっぱり。 
 東辺南側の出枡形状の張り出し部。


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