淵辺義博館(ふちのべよしひろ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 淵辺義博か
 遺構  : なし
 交通  : JR横浜線淵野辺駅徒歩15分


       <沿革>
           足利直義配下の武将淵辺伊賀守義博の居館と伝わる。淵辺氏については、横山党の一族ともいわれて
          いるが、よく分かっていない。
           建武二年(1335)七月、中先代の乱が起こり北条時行軍が鎌倉に迫ると、直義は防ぎきれないとみて
          鎌倉の放棄を決断した。このとき、鎌倉に幽閉されていた護良親王が北条方に担がれることを恐れた直義
          は、義博に親王の殺害を命じた。義博は、命令通り親王を殺害したとも、殺さずに石巻(現在の宮城県)へ
          逃がしたともいわれている。義博はその後直義軍と合流したが、時行軍に追いつかれ駿河国手越河原で
          合戦に及び、討ち死にした。
           その後の淵辺氏ならびに淵辺氏館については不明である。


       <手記>
           淵辺義博館は、境川の右岸、根岸橋のすぐ西側にあったといわれています。ただし、遺構はないため、
          正確な位置については判然としません。芝溝街道沿いの水道施設から少し西に入った鉄塔脇に、石碑が
          建っています(上の地図の点で示したあたり)。少々分かりにくい場所にある上に、おそらく館とはずれた
          位置にあります。


           
 淵辺義博館跡石碑。
境川の流れ。 


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