深沢城(ふかざわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 南条重長
 遺構  : なし
 交通  : 東急大井町線上野毛駅または等々力駅徒歩10分


       <沿革>
           永禄七年(1564)、南条右京亮重長が第二次国府台合戦の戦功により、北条氏康から深沢郷に
          所領を与えられた。南条氏は、伊豆衆の1人とされる。重長は、領地の東端に居城を、兎々呂城
          (とどろき)に出丸を築いたとされる。
           北条氏が滅ぶと、重長は城を廃してこの地に土着したとされる。子孫は谷岡氏を称し、深沢村の
          名主となったといわれる。


       <手記>
           深沢城の位置については、現在の都立園芸高校付近あるいは玉川警察署付近の何れかとされ、
          諸説あって定まっていません。玉川警察署付近とすれば、台地の先端を利用した城であり、園芸
          高校付近とすれば、崖端の城ということになります。また、深沢城という呼称自体、当時使われて
          いたかどうか詳らかではありません。
           村の東端に築かれた、つまり東方の眺望が重要であるという点を鑑みれば、玉川警察署付近の
          方が東西南への眺望が開けていて、城地として相応しいといえるかもしれません。ただし、発掘等
          の調査が行われない限りは、はっきりとしてことはいえないでしょう。あるいは、周辺に出丸や支塁
          が設けられていたとされることから、2つの比定地の両方ともに城館施設があったとも推測されます。

           
 比定地その1:玉川警察署付近のようす。
比定地その2:都立園芸高校付近のようす。 


BACK