不破関(ふわ) | |
別称 : なし | |
分類 : 関所 | |
築城者: 天武天皇か | |
遺構 : 土塁、削平地 | |
交通 : JR東海道本線関ヶ原駅下車徒歩20分 | |
<沿革> 不破の関は、鈴鹿・愛発とともに日本三関の1つに数えられているが、正確な創建年代は 分かっていない。『日本書紀』の壬申の乱の項には、鈴鹿を関としているのに対し、不破に ついては「不破道」とだけ記されていることから、672年の壬申の乱以降に、当地の重要性 を認めて設置されたものと考えられている。 廃止時期についても不明であるが、平安時代末期に藤原(九条)良経が「人住まぬ 不破 の関屋の 板庇 あれにし後は ただ秋の風」と詠んでいることから、12世紀後半までには、 少なくとも関所としての機能は失っていたものとみられている。 <手記> 不破関は、東山道が今須峠の隘路に差し掛かる首根の場所に、藤古川の段丘を背負う 形で築かれています。西側から訪ねると、今須峠を越えて藤古川の谷を渡ったところにあり ます。河岸段丘を利用し、階段状に削平地を設けて役宅などを並べていたようです。 民家の畑地を分け入った分かりにくいところに、関庁跡と、壬申の乱で大海人皇子(天武 天皇)が兜を掛けたと伝わる兜掛石があります。 また関所から5分ほど歩いたところに、関ヶ原の戦いでの福島正則の陣所跡があります。 |
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下から関所跡を見上げる。 | |
河岸段丘を削平した城門跡と役所跡。 | |
本庁跡と、大海人皇子の兜掛石。 | |
おまけ:福島正則陣所跡。 写真の大木は合戦当時すでにあったそうです。 |