冬頭城(ふゆとう) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 小瀬冬任か | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR高山本線高山駅からバスに乗り、 「ルビットタウン高山前」下車徒歩25分 |
|
<沿革> 明治初期に編纂された『斐太後風土記』には、「古此里に郷士ありて冬任と云 此の南の 山上に城塁を築いて住ける故 村名をも冬任と唱へしに」とある。冬頭城山麓の東等寺の 寺伝によれば、同寺の開基は飛騨国司姉小路基綱の家臣七郎冬任とされる。いずれも、 冬任の姓は不明で、彼の名が冬頭村の村名の由来となった点では共通している。 『定本 飛騨の城』では、冬頭城主は小瀬六兵衛冬任で、中山城主中山(岡本)豊前守 の代官としているが、根拠は不明である。 <手記> 冬頭城のあったとされる峰は、小瀬山と呼ばれていましたが、国道472号線バイパスの 建設によって取り崩されてしまいました。工事に先立って発掘調査が実施され、報告書は ネットで閲覧できます。 それによると、北東向きの細長い峰上に少なくとも14の曲輪を設けていたそうですが、 一方で堀や建物跡などは検出されなかったそうです。周辺の城館と比べてもかなり簡素 なつくりといえ、早い段階で廃城となったものと推測されます。とすると、ちょうど戦国時代 が始まった基綱のころというのは、遺構の状況から見てもつじつまが合うように感じます。 小瀬山跡の南西中腹に住宅地があり、その北端の角から、分かりにくいですが登山道 が付いています。登った先は小瀬山裏手の鞍部で、主郭方面も行けるところまで行って みたのですが、遺構らしきものは見当たりませんでした。 逆に、西側の峰にも登ってみると、基本的には自然地形なのですが、削平地状の平場 や虎口状の凹部など気になる箇所も見られました。とはいえ、これらを総合しても城砦と して用をなす姿ははっきり見えず、城域だったかどうかは判然としません。 |
|
小瀬山側の行けるところまで行った先。 主郭以下は道路建設で失われています。 |
|
1つ西側の峰の頂部。 | |
削平地状地形。 | |
虎口状の凹地形。 |
|
松倉城跡から冬頭城跡を望む (道路に抉られて消滅している部分)。 |