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平田城(ひらた) |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 平田家継か | |
遺構 : なし | |
交通 : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、 「山田」下車徒歩5分 |
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<沿革> 元暦元年(1184)の三日平氏の乱において、伊賀・伊勢の平家余党が平田城において 「謀反の衆会」を行ったとされる。首謀者は平田太郎家継入道(『吾妻鏡』『源平盛衰記』) ないし平田入道貞次(『平家物語』)と伝わる。平田氏は平清盛と同じ伊勢平氏で、家継の 弟とされる貞能は、清盛の「専一腹心の者(『吾妻鏡』)」と称された。 同年七月十九日、近江国大原荘へ撃ち出た平氏残党は源頼朝の追討軍と合戦に及び、 佐々木秀義の首級を挙げたものの、敗れて家継も討ち取られた。この一戦で反乱はほぼ 鎮定され、平田城もまもなく廃城となったとされる。 <手記> 『日本城郭大系』によれば、かつて「古城」や「作の内(柵の内)」といった地名が存在し、 遺跡地図では上に示したあたりを平田城跡としています。現状は土地改良された一面の 水田で、城館跡を示すようなものはなにもありません。 国土地理院地図の古い航空写真を参照すると、北辺および東辺の堀跡とも見える細い 田が延びていますが、遺構かは不明です。伊賀といえば忍者・土豪の城跡がひしめいて おり、平安時代にのみ使用された城館が、推定地とはいえ今日まで伝えられているという のは、なかなか貴重なのではないでしょうか。 |
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平田城跡推定地周辺現況。 |