岩名氏館(いわなし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 岩名氏
 遺構  : 土塁か
 交通  : 伊賀鉄道上林駅徒歩15分


       <沿革>
           岩名氏について詳細は不明である。館跡比定地に建つ金谷山持仏寺は、応仁年間
          (1467〜68)に山城国醍醐寺から来た僧侶が草庵を結び、後に僧・快義が堂宇を拡大
          したことに始まる伝わる。
           天正六年(1578)に織田信雄が丸山城築城を企図した際、指揮に当たった滝川三郎
          兵衛(雄利)が持仏寺に本陣を置いたとされるが、岩名氏館との関連は定かでない。
          丸山城は同年中に伊賀衆の襲撃を受けて陥落した。
           天正九年(1851)の第二次天正伊賀の乱において、持仏寺は織田勢の侵攻を受けて
          灰燼に帰したとされるが、やはり岩名氏館の動静は不明である。


       <手記>
           木津川河岸に建つ持仏寺境内とその周辺が岩名氏館跡とされています。境内南辺は
          土塁状となっており、あるいは遺構とも考えられますが断言はできません。『日本城郭
          大系』には、境内ではなく「宅地に土塁の一部が残る」とあり、持仏寺の土塁を指すので
          なければ、それらしきものは見当たりませんでした。
           境内の北東には岩名瓦店があり、持仏寺には岩名姓の墓石がいくつか見られたこと
          から、岩名家が上林地区の旧家であることは間違いないでしょう。

           
 持仏寺。
境内南辺の土塁状地形。 
 同上。
南西から境内を望む。 


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