飯田家義館(いいだいえよし)
 別称  : 富士塚城、飯田城
 分類  : 平山城
 築城者: 飯田家義
 遺構  : なし
 交通  : 横浜市営地下鉄下飯田駅徒歩5分


       <沿革>
           秩父平氏流渋谷重国の一子家義は、飯田郷に入植して飯田五郎を称した。治承四年(1180)に
          源頼朝が挙兵すると、家義は平家方で参戦したものの、石橋山の戦いに敗れた頼朝一行の逃亡
          を手伝った。
           同年の富士川の戦いを境に源氏方に転じ、鎌倉幕府の御家人として飯田郷を安堵された。正治
          二年(1200)には、梶原景時の変での功により駿河国大岡の地頭職を獲得した。
           家義以降の飯田氏については、動向が定かでない。


       <手記>
           飯田は境川と和泉川に挟まれた細い丘陵で、その西辺下の富士塚公園内に、「富士塚城址」の
          石碑が建てられています。ただ、富士塚とは江戸時代の富士講にちなんだものでしょうから、当時
          そのように呼ばれていた可能性はほぼないでしょう。
           実際には、富士塚公園東の丘陵上に存在した、「中野丸」という地名周辺が家義の館跡と伝え
          られています。周辺は、墓地があるほかは住宅となっています。堀跡がらしき地形が残っていると
          する資料もありますが、開発が進んだのかそれっぽいものは見つけられませんでした。

           
 富士塚公園内の富士塚城址碑。
富士塚公園東丘上の館跡比定地現況。 
 比定地付近からの眺望。
 左手奥に見えるマンション群は湘南台。

 
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