池上氏館(いけがみし)
 別称  : 池上邸
 分類  : 平山城
 築城者: 池上氏
 遺構  : なし
 交通  : 東急池上線池上駅徒歩5分


       <沿革>
           池上氏の居館跡である。池上氏は藤原北家藤原忠方の後裔を称しているが、詳しい系譜は
          不明である。鎌倉時代中期、池上右衛門大夫宗仲は弟の宗長とともに日蓮宗を信仰して、父
          の左衛門大夫(名は康光とも)から一時勘当された。その後、左衛門大夫も日蓮宗に入信する
          こととなり、勘当は解かれた。
           弘安五年(1282)、日蓮は病気療養へ向かう途中に宗仲の館に逗留し、そこで入滅した。
          宗仲は館の敷地を日蓮宗に寄進し、現在の本門寺に至っている。
           その後の池上氏については定かでない。江戸時代に橘樹郡大師河原村の名主を務め、
          多摩川河口域に池上新田を開いた池上幸豊は、池上氏末裔を称している。


       <手記>
           本門寺のある丘陵が館跡とされています。西から南へと呑川が流れ、わりと比高差がある
          ため、周辺一帯でずば抜けて眺望の利く立地です。ただ、本門寺本堂は東西両側が急斜面
          になった細尾根にあり、峰の先端ではなく中途にあたるため、館地形としては少々不自然に
          感じられます。
           日蓮が入滅したとされる屋敷は「大坊」と呼ばれ、それは本門寺ではなく西麓の本行寺を
          指します。この本行寺にはずばり「ご臨終の間」なるものがあり、日蓮が入滅した部屋の跡に
          建てられたとされています。「ご臨終の間」は、本門寺の丘陵の窪まったところにあり、鎌倉
          武士の館として相応しい位置にあります。その脇には本門寺へ続く「大坊坂」があり、これを
          上り詰めると、今度は本門寺大堂を挟んで反対側へ下る「紅葉坂」があります。2つの坂は
          東西一直線に並んでいて、峰の頸部を切る堀切道のようにも見えます。
           推測ですが、宗仲の館自体は本行寺「ご臨終の間」近辺にあり、その裏手の本門寺境内
          は物見台だったのではないでしょうか。そして、館と物見台は「大堂坂」と「紅葉坂」からなる
          堀切道で結ばれていたと考えると、地形や伝承との辻褄は十分に合うように思われます。


           
 本門寺大堂。
紅葉坂。 


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