今川城(いまがわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 今川国氏
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄西尾線西尾駅からバスに乗り、
      「中央体育館」下車徒歩5分


       <沿革>
           足利氏の有力一門である今川氏の本貫とされる。今川氏は三河守護となった足利義氏の
          庶長子吉良長氏の次男国氏が、今川荘3か村を分知されたことにはじまる。長氏の隠棲地
          だったとする説もあるが、一般に長氏の隠居所は丸山御所とされる。
           国氏の代には庶流の小領主に過ぎなかったが、その子基氏が弘安八年(1285)の霜月
          騒動の戦功によって、遠江国引間荘に所領を与えられたと考えられている。基氏は遠江へ
          移り住み、駿遠の守護大名となる基礎を築いたとみられるが、その後の今川荘については
          不明である。


       <手記>
           今川町の西尾中学校周辺に土井堀の小字が残り、今川城はこのあたりにあったと推測
          されています。学校南辺の生活道路沿いに、「今川氏発跡地」の石碑と今川了俊の墓が
          あります。
           とはいえ、周囲は田圃の広がる低地で集落からは外れており、要害性や生産性などは
          感じられないことから、本当にここに居住したのかは疑問も残ります。了俊の墓についても
          後世に建てられたものということで、きちんとした根拠があるようには思えません。
           戦国時代を代表する大大名の1つであり、後には格上にあたる吉良氏を下克上のような
          形で従えた今川氏が、こうした寒地から始まったというのは、なんとも感慨深く感じました
          (お住まいの方には申し訳ありませんが)。

           
 「今川氏発跡地」の碑。
今川了俊の墓。 
 周辺現況。
 中央の林は諏訪神社。


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