今川氏館(いまがわし)
 別称  : 品川氏館
 分類  : 平城
 築城者: 今川氏真
 遺構  : なし
 交通  : JR京浜東北線他・東急大井町線大井町駅徒歩5分


       <沿革>
           桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られた今川義元の嫡子氏真は、永禄十二年(1569)に
          徳川家康や武田信玄の侵攻によって領国の駿河を逐われた。氏真は妻の実家の北条氏を
          頼り、北条氏政は氏真のために品川に館を築いた。氏政は、嫡子氏直を氏真の猶子とし、
          武田信玄の支配下にあった駿河の獲得(氏真にとっては奪還)を画策した。
           元亀二年(1571)、氏政が方針を転換し武田氏と和議を結ぶと、氏真は辞去して徳川氏を
          頼った。品川には氏真の次男高久が残ったとされるが、定かではない。高久は、家康の関東
          入封後の慶長三年(1598)に家康の子秀忠に出仕し、屋敷のある品川の地名をとって品川
          氏を称した。
           また氏真は、桃山期には京都にいたといわれるが、江戸時代に入り家康に品川に屋敷を
          与えられたとされている。この屋敷が、以前の今川氏館を改めて与えられたものなのか、
          新たに建造されたものなのか、あるいは品川高久の屋敷と同一のものなのかなど、詳しい
          ことは不明である。
           今川氏ならびに品川氏は高家旗本として存続した。そのため、彼らは普段は江戸に詰め
          ていたものと考えられる。館がいつごろ廃されたのかは明らかではないが、『新編武蔵国
          風土記稿』には「字権現台の白田中にあり、其界域詳らかならず」とあり、『記稿』が編纂
          された文政年間(1818〜30)には、すでにその位置さえ分からなくなっていたようである。


       <手記>
           今川氏館については、上記の通り@北条氏庇護下の氏真の館A品川高久の館B家康に
          与えられた氏真の館の3つが存在します。これらが全て同じものなのか、それとも異なるもの
          なのかは、今では一切不明です。
           それというのも、江戸時代末期にすでに遺構が分からなくなっていたことに加え、比定地と
          される広町は、現在JRの大井町車両工場となっているからです。

           


今川氏館周辺現況。


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