今切城(いまぎれ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 篠原長秀 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR徳島駅からバスに乗り、 「城北高校前」下車徒歩15分 |
|
<沿革> 木津城主篠原自遁の子・長秀によって、永禄年間(1558〜70)に築かれたとされる。長秀は 三好長治の近習として寵愛されたといわれ、独自の地位を与えられたとみられる。 天正四年(1576)、長治は傀儡の主君・細川真之を討たんとしたが、却って一宮成助や伊沢 頼俊に離反され、那東郡荒田野で敗れて今切城へ逃げ込んだ。しかし、追撃・包囲されて抗い きれず、『南海治乱記』によれば城を脱出して淡路へ渡るべく助任川まで来たものの、里吏は 敵方へ報せたため、観念して自害した。また長秀は、大岡というところに住む家人の郡勘助を 頼って落ち延び、勘助は長秀を古井戸に匿ったものの、やはりそのまま一宮・伊沢方に報せて 打たれたとされる。 その後の今切城については不明である。 <手記> 高徳線東側の篠原神社および真観寺が今切城跡とされています。『日本城郭大系』によれば 両者の間に堀跡が残っているとありますが、私が訪れた時点ではそれらしきものはありません でした。そもそも両境内一帯がゾウリムシ状の微高地となっているので、それを以て外郭ライン と見てよいと思われます。また、真観寺境内入口の石柱の表札銘板に、きわめて読み取りにくく 「旧今切城(跡?)地」と記されています。 ちなみに、ネット上で調べると、長治が勘助を頼り古井戸に匿われたように書かれているもの があり、いやはやネットの鵜呑みは恐いものだと改めて思った次第です。 |
|
篠原神社。 | |
真観寺。 | |
真観寺境内入口の石柱。 「旧今切城(跡?)地」と書かれています。 |