今井城(いまい)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 今井兼平か
 遺構  : なし
 交通  : 地下鉄千代田線赤坂徒歩10分


       <沿革>
          伝承によれば、木曽義仲の家臣で義仲四天王の1人今井四郎兼平の城とされる。また、義仲の父
         帯刀先生義賢や、斎藤別当実盛の城ともいわれる。義賢は上野国多胡荘を本拠としたが、久寿二年
         (1155)の大蔵合戦で討ち死にした。遺児義仲は実盛の助力によって、木曽の中原兼遠のもとへ落ち
         延びた。兼遠の一子が今井兼平である。
          すなわち、今井城主として名の挙がっている兼平、義賢・義仲父子、実盛は、いずれも今井城の地
         からは遠く離れたところに所領をもっていた。そのため、彼らが今井城主であるとの伝承は、信憑性が
         低く伝説の域を出ない。
          戦国時代には、江戸今井の地は太田氏や牛込氏の所領となっていた。実際には、今井城は彼らに
         よって築かれた城であろうと考えられている。


       <手記>
          今井城は、赤坂と六本木の間の氷川神社とその西方の台地上にあったとされています。今井城址
         のすぐ西側には、現在東京ミッドタウンが建っています。遺構はとくに残っていません。
          赤坂通り周辺は谷地になっていて、今井城は北にこの赤坂の谷間を望む台地の先端にあります。
         北側を中心に急斜面となっていて、城郭に適した地形ではあります。
          今井兼平が築城者であるというのは、たまたま地名城名が今井であったことからくる短絡的な連想
         だろうと思います。戦国期には、おそらく今井は太田氏や牛込氏の所領境にあたり、在地領主の境目
         の城として築かれたのではないかと考えられます。

           


今井城址(氷川神社)。


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