今成屋敷(いまなり) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 川田備前守今成 | |
遺構 : 堀跡か | |
交通 :東武東上線川越市駅またはJR川越線西川越駅 徒歩15分 |
|
<沿革> 『日本城郭大系』によれば、北条新九郎の子孫とされる川田備前守今成がこの地に 住し、開拓したと伝わるとある。新九郎は後北条氏代々の当主が用いた通称であり、 具体的に誰を指すのか定かでない。比定地の1つである熊野神社の縁起によれば、 今成は永禄年間(1558〜70)にこの地に入植し、天正元年(1573)に神社を勧請した とされる。これが正しければ、今成は伊勢長氏(北条早雲)ないし北条氏綱の縁者で あると推測される。 他方、永禄二年(1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、河越衆宇野源十郎 が今成に200貫465文を知行しているとある。宇野氏は室町時代に中国から渡来し、 ういろう製造(この「ういろう」はお菓子ではなく丸薬)を始めた陳外郎の子孫で、京都 外郎家の分家小田原外郎家に端を発する。源十郎は小田原外郎家の祖宇野定治の 子家治と同一とされる。 永禄二年時点で今成の地名がすでにあったことは確実であり、そのころの領主は 宇野氏であったことから、川田今成が実在したか否かは別として熊野神社の創建者 や永禄年間以降の今成屋敷の主は宇野氏であった可能性が高いように思われる。 <手記> 今成屋敷の比定地には2つあるようです。1つは前出の熊野神社、もう1つは安楽寺 東側門前です。両者に共通しているのは、どちらも水路に囲まれた長方形の区画で あるという点です。これらの水路はおそらく、開拓当時湿地帯であった周辺の水位を 下げるために掘られたものでしょう。 したがって、どちらが有力かといわれてもなかなか判断しにくいところではあります。 ただし、熊野神社の東辺には水路になっていない浅い堀跡が認められます。これは 神社や開拓に必要な造作とは思えないので、あるいは屋敷の遺構といえるかもしれ ません。 ちなみに、川田今成が実在したとして、北条氏当主の子孫であるというのはにわか には信じられません。少なくとも、男系の子孫である可能性は低いでしょう。せいぜい、 北条一族の誰かと縁戚関係にあったというところではないかと拝察されます。 |
|
比定地1:熊野神社。 | |
熊野神社東辺の堀跡。 |
|
熊野神社西辺の水路。 | |
比定地2:安楽寺門前の区画。 |