片倉氏館(かたくらし)
 別称  : 片倉館
 分類  : 平城
 築城者: 片倉氏
 遺構  : 不明
 交通  : 中央自動車道諏訪ICから車で25分


       <沿革>
           伊達家重臣として知られる片倉氏は、加藤景廉を祖とし、その子孫が信濃国伊那郡片倉郷に
          住したことにはじまるとされる。他方で、『古代氏族系譜集成』所収の「片倉氏系図」では神氏と
          され、大祝・諏訪為信の弟・為重を初代としている。
           片倉景春の代に、経緯は不明だが奥州探題として下向した斯波氏に従い、その後は大崎氏
          に仕えたと伝わる。片倉郷の館はこのときに廃されたとみられるが、確証はない。
           ちなみに、片倉氏は景時の代に伊達晴宗の家臣となったとされ、その孫にあたるのが、伊達
          政宗の股肱の臣となった片倉小十郎景綱である。


       <手記>
           政宗の右腕として名高い片倉小十郎ですが、その祖はというと信濃国伊那郡片倉郷が本貫
          というものの具体的にどこかは言及した資料にいまだ出会っていません。ただ、今日の伊那谷
          で「片倉」という地名はこの伊那市高遠町片倉にしかみられません。
           ここは諏訪から杖突峠を越えて最初の集落で、箕輪・辰野方面へ向かう松尾峠との分岐でも
          ある要地です。藤沢川沿いには諏訪氏一族とされる藤沢氏が興っていることもあり、片倉氏を
          神党とするのは妥当なように思われます。一方、加藤景廉が祖というのは、通字の「景」が共通
          することからの付会でしょう。
           片倉は藤沢川と白沢川の合流点周辺に広がる、のどかな集落です。とくに片倉氏と結びつく
          ようなものは見当たりません。開発領主の居館跡としては、白沢川に面した山裾の福伝寺境内
          あたりが考えられます。とはいえ館跡につながるようなものはなく、仙台の生まれとして「ここが
          片倉氏の発祥か~」と集落をぶらぶら散策しました。

           
 片倉集落のようす。
 左奥が福伝寺。
福伝寺のようす。 
 福伝寺脇の白沢川。
福伝寺境内から片倉集落を俯瞰。 


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