松島城(まつしま)
 別称  : 本城
 分類  : 平山城
 築城者: 松島氏
 遺構  : なし
 交通  : JR飯田線伊那松島駅徒歩10分


       <沿革>
           福与城主藤沢氏の麾下にあった松島氏の居城である。松島氏は信濃守護小笠原氏の
          一族とされるが、詳しい系譜は定かでない。城域内には、2代目とされる松島政行と、その
          子貞実のものとされる墓石が残る。
           天文十一年(1542)、諏訪宗家を滅ぼした武田氏と高遠氏が諏訪郡の領有をめぐって
          対立すると、藤沢頼親は高遠氏に同調した。頼親は伊那の反武田の諸国人を糾合して
          抵抗し、松島氏も連合軍の中核を担ったとされる。しかし、天文十四年(1545)に福与城
          が攻囲され、頼親は武田晴信に降伏した。松島氏もこれに従ったものとみられる。
           弘治二年(1556)、川中島の戦いの隙を突いて、松島豊前守信久や伊那部重親・殿島
          重国兄弟ら8人の旧国人が蜂起した。しかし、反乱はまもなく鎮圧され、8人は狐島(伊那
          市)で処刑された。件の墓石には貞実を同年の没としていることから、信久と貞実は同一
          人物ともみられている。これにより、松島氏は滅び、松島城も廃城となったとされる。
           ちなみに、貞実の子貞基は徳川氏を頼って落ち延びたとされる。ただし、当時はまだ
          徳川家は存在しないため、その経緯については詳らかでない。


       <手記>
           松島城跡は箕輪町役場となっていて、駐車場の一角に標柱と説明板が立っています。
          天竜川の河岸の崖端城で、役場南側の切通し道は堀跡を利用したとも考えられます。
          役場の西側には松島氏2代の墓域があり、町の史跡に指定されています。明確な城の
          遺構はみられませんが、史跡の雰囲気はいくらか残っているように感じました。

           
 城址標柱と説明板。
町史跡「松島氏の墓域」。 
 役場南側の切通し道。堀跡か。


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