大草城(おおくさ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 香坂高宗か
 遺構  : 曲輪、土塁
 交通  : JR飯田線伊那田島駅から車で10分


       <沿革>
           康永二/興国四年(1343)に、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王を迎えた大河原城主香坂高宗に
          よって築かれたとされる。香坂氏は信濃国小県郡の名族・滋野氏の流れを汲む禰津氏の庶流とされ、
          もともと北信に勢力をもっており、高宗の1世代前ごろの人物に、やはり南朝方として上水内郡の牧城
          で挙兵した香坂心覚がいるが、高宗との関係は不明である。香坂氏が伊那谷へ分かれた経緯は定か
          でなく、また高宗自身は同じ滋野氏流でも望月氏の庶流を称している。
           大河原は30年以上に及び宗良親王を中心とする信濃の南朝勢力の根拠地となったが、形勢を逆転
          することはできず、応安七/文中三年(1374)に親王は吉野へ遷った。高宗も応永十四年(1407)に
          大河原城で没したとされる。
           高宗以降の香坂氏と大草城については詳らかでない。一説には、大草城の香坂氏は大草氏を称し、
          天正十年(1582)の織田信長による武田攻めのころには大草休斎が城主であったともいわれる。


       <手記>
           大草城跡は大草城址公園として整備されていて、お花見やマレットゴルフが楽しめる村民憩いの場
          となっています。南北に天竜川支脈の谷が切れ込んでおり、三方急崖の舌状の峰を利用した城です。
           公園整備によって遺構は明瞭さを欠いているものの、主郭と両サイドの帯曲輪、そして峰の前方に
          副郭が付随していたようすがうかがえます。主郭には櫓台状の土壇があるものの、遺構かどうかは
          不明です。
           主郭の背後には堀切があったようですが、公園化により埋められてます。その切岸面に沿って、長く
          うねったローラー滑り台が設置されていて、私が訪れた日もお子さま連れの親子が興じていました。
          彼らが遊び終わった後で、私もこっそり滑って愉しんだのはここだけの秘密です笑
           全体的な雰囲気としては、南北朝1代限りの城砦とは思えず、大草休斎まで大草氏が居城していた
          としても不思議ではないでしょう。

           
 主郭北側の帯曲輪と城址標柱。
主郭のようすと櫓台状の土壇。 
 副郭のようす。
主郭南側帯曲輪と南方の眺望。 
 主郭背後切岸のローラー滑り台。


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