高田城(たかだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 高田氏
 遺構  : 曲輪、土塁、堀跡
 交通  : 中央自動車道駒ヶ根ICから車で15分


       <沿革>
           現地の石碑によると、文明(1469~87)の頃に高田景長が、続く長享年間(1487~89)
          には高田甲斐尉があったとされる。その後、天正十年(1582)の織田信長による武田攻め
          により落城し、高田氏は外郭の地へ移ったとある。
           また高田氏については、「アイヌノ住セシ此地ニ出雲ヨリ来リ祖先代々居城ス 文治年間
          (1185~90)平家ノ将ヲ匿ヒシコトアリ」と彫られているが、アイヌ云々についての信憑性は
          薄いと思われる。


       <手記>
           天竜川と塩田側の合流点に臨む河岸段丘の突端部に築かれた城です。現況は畑地で、
          南東と北東の2辺に¬字状の堀を設けていたとみられ、それぞれ堀底道として麓に通じて
          います。
           郭内には上記の内容が刻まれた「古城」の石碑が建ち、北辺には土塁が巡っています。
          先端部はさらに縊れて突出しており、出丸のように見えますが旧来の地形かは不明です。
           塩田川以南の天竜川左岸地域には、小規模な城館が密集して中沢衆を形成していた
          ようですが、城主がはっきりしているところは多くありません。そのなかで、出自は明らかで
          ないものの、高田城主として高田氏があったというのは貴重な情報のように思われます。

           
 北から高田城跡を望む。
「古城」石碑。 
 石碑裏の碑文。
石碑の左側は土塁跡にも見えます。 
 郭内のようす。
北辺の土塁。 
 同上。
先端の出丸状突出部。 
 北東辺の堀跡。
南東辺の堀跡。 


BACK