天神山城(てんじんやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁
 交通  : JR飯田線伊那市駅からバスに乗り、
      「南割」下車徒歩10分


       <沿革>
           『高遠実記』には、治承四年(1180)九月に甲斐の武田信義および一条忠頼が伊那
          に侵攻し、この城を攻めた旨が記されている。ただし、同書の信憑性も含めて確証は
          ない。
           一般には蟻塚城守屋山城の支城とみられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           蟻塚城および守屋山城の前衛的な位置にある半独立丘の山頂が城跡で、現状は
          天満宮の境内となっています。やや広めの単郭の城で、東側に塚状の土塁が、北辺
          にも低いながら土塁の痕跡が残っています。西辺は、土塁はないものの外側が切岸
          になっていて、南辺・東辺にも切岸状の人工地形が認められます。北西隅には虎口
          のような開口部もありますが、城の遺構かは判別が困難です。
           このように四周をじっくり見れば遺構らしき地形が散見されますが、いずれも造作の
          規模は大きいとはいえません。構造も単純ですが、鎌倉時代の塁がそのまま残って
          いるとは少々考えづらいので、やはり蟻塚城主笠原氏の支砦ないし旧居城とみるのが
          妥当と思われます。

           
 天神山城跡を望む。
 右手の丘。
天満宮。 
 東側の塚状の土塁。
東辺の切岸状地形。 
 北辺の土塁。
北西隅付近の土塁。 
 北西隅付近の虎口状開口部。
西辺の切岸。 
 南辺の切岸状地形。


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