井ノ口館(いのくち)
 別称  : 本堂谷遺跡
 分類  : 山城
 築城者: 佐々木氏
 遺構  : 土塁、堀、土橋
 交通  : JR湖西線新旭駅よりバス
       「井ノ口」バス停下車徒歩15分


       <沿革>
           佐々木高島氏の居城清水山城から、西谷川を挟んだ南西に位置し、清水山城の出城であったと
          推測されている。史料に現れないため、築城時期は不明だが、現在に残る遺構は15世紀後半ごろ
          のものと考えられている。
           城地には、もともと大宝寺という寺院があったといわれる。元亀三年(1572)の織田信長による
          高島攻略によって、清水山城と同時に攻め落とされたものと推測される。井ノ口館の南300mほど
          のところにある保福寺には、重要文化財の釈迦如来像がある。この像はもともと大宝寺にあったが、
          信長による焼き討ちに遭った際に持ち出されたものと伝わる。これが正しければ、大宝寺は落城時
          まで城内に併存していたものと推定される。


       <手記>
           井ノ口館は、佐々木氏の氏神大荒比古神社の東側、大宝寺山の南東裾に位置しています。清水
          山城とは西谷川を隔てていますが、両者はほとんど一体のものと扱われ、現に平成十六年(2004)
          には「清水山城館跡」として清水山城址に含まれる形で国の史跡に指定されました。
           この史跡指定はギリギリ間に合ったというべきか、少々遅かったというべきか、城館跡の中心部は
          宅地造成されてしまっています。その結果、城館跡の南東部と北西部の遺構はとても良好に残って
          いるものの、中心部だけが白色のローラーを転がしたようにきれいに消滅しています。造成前に史跡
          指定されていれば、ほぼ完璧な城館遺構として現在に伝わっていたでしょうに、残念でなりません。
           開発前の測量図を見ると、井ノ口館は土塁や堀に囲まれた方形の区画が数多く並ぶ、城としては
          異様な縄張りをしています。こうした、方形区画の羅列という縄張りは、寺院を城塞化したものに多く
          見受けられるもので、近江国内にも弥高寺や百済寺、金剛輪寺などに同様の構造がみられます。
           とくに、大荒比古神社に隣接した北西部の遺構が良好で、土塁や堀、土橋などが残っています。
          とても見ごたえがあるので、くまなく踏査したかったのですが、大きなスズメバチが周回しながら警戒
          していたので、あまり奥には行けませんでした。

           
 井ノ口館説明板。
説明板裏手の土塁。 
 同じ土塁を道路沿いに望む。
北西部の堀。 
 同じく北西部の堀。
 蓮池とも呼ばれたようで、大宝寺の名残を感じさせます。
北西部の土塁。 
 同上。
大荒比古神社。 


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