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川北城(かわきた) |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 川北藤照か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR紀勢本線一身田駅徒歩20分 | |
<沿革> 伊勢の有力国人である、長野工藤氏の庶流・川北氏の居城とされる。川北氏は長野氏 6代経藤の子・藤照にはじまり、川北城は文永十一年(1274)に築かれたと伝わる。 康安元/正平十六年(1361)、北朝の伊勢守護・土岐頼康らが川北城を攻め落とした。 ただし、長野氏は南朝の北畠氏と対立して北朝に与しており、川北氏の動静を含めどの ような経緯で城攻めが行われたのかは定かでない。 16世紀後半には、長野稙藤の子・藤元が川北氏を称した。永禄十一年(1568)に織田 信長が伊勢に侵攻すると、藤元と兄の伊勢上野城主分部光嘉は、主君で北畠氏からの 養子である長野具藤に降伏を進言した。これに対し、もう一人の兄である安濃城主細野 藤敦が徹底抗戦を唱えたため、2人は具藤に藤敦を讒言し、窮した藤敦は具藤を実家へ 追放した。3兄弟は信長の弟・信包を長野氏の新たな当主に迎えて降伏したが、藤元の その後については詳らかでない。 <手記> 川北城跡周辺は昭和50年代に住宅団地として開発され、遺構は残っていません。国土 地理院の年代別航空写真を見ると、東西を細峰と谷戸に挟まれた丘陵の舌状先端部に 築かれていたようで、周囲からはやや隠れた場所にあったことがうかがえます。工事に 先立って発掘調査が行われ、今日では住宅街の一画のかわきた公園に説明板が建て られているのが、唯一のよすがです。 土塁と堀で区切られた曲輪がいくつも配されていたということから、北勢に多くみられる 構造の城郭であったものと推察されます。また、遺物から城の盛期は13世紀末〜14世紀 中ごろと推定されています。つまり、土岐頼康に攻め落とされて以降は再建されず、川北 藤元の居城はどこか別のところにあったことになります。 |
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かわきた公園。 | |
公園内の説明板。 |