伊勢山城(いせやま) | |
別称 : 鬼岡館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不詳 | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀 | |
交通 : JR常磐線勿来駅徒歩10分 | |
<沿革> 明確な城郭遺構が認められるものの、史料にはみられず詳細は不明である。城跡に 鎮座する伊勢両宮神社の縁起によれば、前九年の役に際して源義家がこの地に在陣 したとする伝承がある。ただし、仮に事実としても、義家のころに城砦が築かれていた とは考えにくい。 <手記> 伊勢両宮神社は勿来駅の北に位置し、中腹のゴルフ練習場を脇目に奥まで進めば、 鞍部に広い駐車場があります。参道の階段を上ると、右手に外宮、左手に内宮があり、 一度で両宮を参拝したことになるという、お得な神社のようです。参道の中途脇には 横堀があるそうですが、藪があまりに猛烈で、まったく分かりませんでした…。 神社による地形の改変はありますが、まず内宮の西側には土塁と堀切がはっきりと 残っています。堀切は社殿背後にまわるとよく見えます。外宮と内宮の間は参道から 続く鞍部となっていて、あるいは堀切跡とも思われますが、現状では何ともいえません。 外宮への参道脇には、2段ほどの腰曲輪が見られます。外宮の奥にもう1段高まった スペースがあるのが、主郭と思われます。 駐車場へ戻り、東側へ下りる道を行くと、先の横堀から続くと思われる大きな竪堀が 現れます。現況では、これが城内で最も規模の大きい遺構のように感じました。さらに 南側の山へ登る踏み分け道があったので行ってみたのですが、こちらは自然地形が 続くばかりでした。 伊勢両宮神社については、縁起によれば文禄年間(1593〜96)に、窪田山城守家盛 が勧請して創建したとされています。岩城親隆の志願によるとの伝承も記されています が、文禄年間には親隆はおろかその子常隆も没しており、岩城氏は佐竹義重の三男 貞隆が継いで佐竹氏の影響下にありました。 伊勢山城の規模は、在地領主の窪田氏が独力で整備・維持できるものではないと 思われ、少なくとも岩城氏ないし佐竹氏の主導で築かれたと推察されます。岩城氏は 1570年代から佐竹氏に家中の実権を握られていたこと、常陸国との境にありながら 北の岩城領を向いていることから、個人的には伊勢山城は佐竹氏によって岩城氏に 対する目付城として設けられたのではないかと考えています。 |
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参道から内宮を望む。 | |
内宮西側の土塁。 | |
土塁背後の堀切。 | |
内宮と外宮の間の鞍部。堀跡か。 | |
外宮手前の腰曲輪。 | |
外宮。 | |
外宮東側の土塁と削平地。 主郭のものか。 |
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駐車場東側下から見上げる竪堀。 |