石丸氏陣屋(いしまるし) | |
別称 : 石丸石見守陣屋 | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 石丸氏 | |
遺構 : なし | |
交通 : 東急こどもの国線こどもの国駅徒歩15分 | |
<沿革> 正保年間(1644〜48)ごろに、奈良村を知行していた石丸氏によって築かれたといわれる。 松岳院の南東に「おくら」「たけのした」「てんでん」「もとやしき」といった字名が残っていたが、 詳しい陣屋の地点は不明である。 松岳院は石丸有定(『日本城郭大系』では石丸石見守)の開基と伝わり、有定以下定政、 定次と石丸家3代の墓が残っている(横浜市地域史跡)。また墓所には供養塔もあり、定次の 子定勝が建立したものとされる。 いつごろ廃されたのかは定かでない。『新編武蔵国風土記稿』が編纂された江戸時代後期 には、「もとの形」は残っていたとされる。 なお、伊勢北畠氏家臣に同名の石丸有定という人物がおり、織田信雄、ついで徳川家康に 仕えている。この有定が松岳院開基の有定と同一人物であるかは不明である。ただ、『寛政 重修諸家譜』によれば北畠家臣の有定は寛永八年(1631)の没と伝えられ、年代にずれが ある。 <手記> 田園都市の開発により、今日ではその位置を特定することさえ困難です。松岳院は奈良川 河岸の先端にあり、その東南と考えると、陣屋は松岳院麓の奈良川河畔にあったと推測され ます。 |
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松岳院から境内を望む。 | |
石丸家三代の墓と供養塔。 |