三栖城(みす)
 別称  : 下三栖城
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 空堀
 交通  : 阪急本線・宇治線中書島駅徒歩15分


       <沿革>
           横大路被官衆の城とみられているが、詳細は不明である。
           山本正男「京都市内およびその近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所調査報告
          第53号』)には、『足利季世記』にみられる永禄十一年(1568)一月に三好義継が入城した
          「伏見(ノ)津田」について、三栖城を充てる『伏見鑑』の説を紹介している。山本氏は、この
          「伏見津田」について今の観月橋付近に比定する説も挙げたうえで双方とも否定し、津田城
          の地を現在の大阪府枚方市津田としている。観月橋付近とは、現在の向島津田町付近を
          指すものと推測される。いずれにせよ、「伏見津田」の城を三栖城とする根拠は不明である。


       <手記>
           三栖城は新高瀬川の西、宇治川の北にあったとされています。比定地の三方にはかつて
          堀が巡り、北辺には「土居藪」の小字が残っていたそうですが、今日ではいずれも失われて
          います。ただ、かの黄桜酒造の工場に囲まれた比定地は今でも周囲より一段高く、城館跡
          であることを感じることはできます。
           個人的により注目すべきと思うのは、比定地の南に鎮座する三栖神社です。この神社は、
          周囲を寺社仏閣には不必要な空堀で囲まれていて、よほど城館跡の様相を呈しています。
          三栖神社以南の町名を城ノ前町といい、神社裏手の一区画は池田屋敷町の町名をもって
          います。
           さらに、三栖神社と山本氏の比定地を結ぶ細長い住宅地も、明らかに周囲より一段高く
          なっていて、三栖城とはこれら集落全体を城砦化ないし環濠化したものなのではないかと
          考えられます。

           
 山本「中世城郭」に示されている比定地のようす。
三栖神社周囲の空堀。 
 同上。
三栖神社〜山本氏比定地間の住宅地。 
こちらも周囲より一段高くなっています。 


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