岩井川城(いわいがわ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 岩井川兵部大輔か
 遺構  : なし
 交通  : JR奥羽本線湯沢駅からバスに乗り、
      「ジュネス栗駒入口」下車徒歩3分


       <沿革>
           土豪・岩井川兵部大輔の居城とされる。慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いに際し、最上家臣・
          丹与惣左衛門が田子内城へ攻め寄せると、兵部大輔および手倉館主手倉国平が手勢を率い
          応援に駆けつけた。これを受け、惣左衛門は山間の険阻な田子内城の攻略は難しいと考え、
          戦わずに撤退したとされる(『奥羽永慶軍記』)。
           翌年の小野寺氏改易によって岩井川氏も没落し、岩井川城も廃城となったと推測される。


       <手記>
           合居川と岩井沢に挟まれた峰先が岩井川城跡とされています。現況は広大な更地で、先端
          に何かの電波塔が建っています。遺跡地図によればかつてグラウンドがあったようで、「遺構
          あり」とあるのですが、それらしきものは見当たりませんでした。
           周囲の斜面の林をぐるっと歩いてみたものの、小さな祠があるのみで城館に結びつきそうな
          地形はやはり見られません。山頂部に削平地や堀を施した程度の小城館だったでしょうから、
          グラウンド建設によって消滅したと考えるのが普通でしょう。
           とはいえ西麓には城下、合居川を挟んだ対岸には馬場といった地名が残っており、それなり
          に地域の中心地として機能していた様子はうかがえます。

           
 岩井川城跡現況。
斜面の小祠。 
 斜面のようす。
付け根側の田との境目。 


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