岩岡館(いわおか)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 岩岡氏
 遺構  : なし
 交通  : JR大糸線梓橋駅からバスに乗り、
      「倭公園前」下車徒歩5分


       <沿革>
           土豪・岩岡氏の居館とされる。岩岡氏の出自は定かでなく、天文十四年(1545)の塩尻峠の戦い
          で小笠原家臣の岩岡石見が討ち死にしたと『岩岡家記』にみえるのが初出とされる。
           その後、岩岡氏は新たな支配者となった武田氏に臣従したが、石見の子・佐渡と、その子で岩岡
          家記の著者である織部は、天正十年(1582)の織田信長の武田攻めで離反した。同年に本能寺の
          変が起こると、織部らは旧主・小笠原長時の子・貞慶の信濃復帰を支援した。


       <手記>
           上に図示したあたりが字内堀と呼ばれ、岩岡館の中心部とみられています。南側に隣接する水道
          施設付近を字寺屋敷といい、建設工事に先立って発掘調査が行われ、掘立柱建物跡や柵列などが
          検出されたそうです。
           現状は水田および宅地で、館跡を示すようなものはありません。また水道施設の南東向かいには、
          岩岡家の墓所があります。

           

岩岡館跡現況。


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