丸岡城(まるおか) | |
別称 : 城の台 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 有馬義通か | |
遺構 : 削平地 | |
交通 : JR予讃線八幡浜駅よりバス、 「中浦」バス停下車徒歩15分 |
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<沿革> 戦国時代後期に有馬右兵衛佐義通が居城していたとされる。有馬氏は藤原姓を称して いるが、詳しい出自は不明である。 元亀年間(1570〜73)に、土佐一条氏に攻められて落城したとされる。ただし、当時の 位置関係を鑑みると、実際には一条兼定と縁戚関係にあった豊後の大友氏によって攻略 されたものと推察される。義通は出家し、城下の法通寺の中興に尽力したと伝わる。その 後の丸岡城の動向については定かでない。 <手記> 丸岡城は、佐田岬半島付け根の伊方湾の最奥に臨み、伊方の街を見下ろし湾を見渡す 小字「城の台」の峰にあったとされています。丸岡の名のとおりこんもりした丘で、地形的 に要害性に優れているとは言い難いですが、半島では貴重な平地を押さえる重要な拠点 であったと思われます。 城跡へは、車があれば国道197号線(メロディーライン)から半島北岸方面の道へ別れ、 城の台トンネルをくぐった先でみかん畑の山へ登る立派な農道に入れば、峰の付け根まで 行くことができます。公共交通機関の場合は、法通寺から登り道があるようです。 周囲の斜面はお日さまさんさんのみかん畑なのですが、城山は法通寺の所有なのか、 畑地にはなっていません。峰の頸部には堀切があったものと思われるのですが、重機道に なっていて埋められてしまったようです。 山頂にはかなりな広さの平らな空間があり、ハナモモが植えられていて見ごろを迎えて いました。ここが主郭ということなのでしょうが、周囲を現代の石垣が取り巻いていて、当時 の地形のままなのかどうかはかなり怪しいところです。そのさらに周囲の林の中を覗くと、 こちらは城跡の遺構と思われる削平地がみられます。主郭がもし破壊されているとすると、 城内で唯一残った貴重な曲輪跡ということになるでしょう。 |
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丸岡城跡を東から望む。 | |
山頂のようす。 | |
山頂をめぐる新しい石垣。 | |
帯曲輪跡か。 | |
同上。 | |
山頂の1段下にある法通寺のものと思しき観音(?)像。 | |
城跡付け根から伊方町市街を望む。 |