長崎城(ながさき) | |
別称 : 台、台城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 得能主膳か | |
遺構 : 土塁、削平地 | |
交通 : JR予讃線八幡浜駅よりバス、 「九町」バス停下車徒歩20分 |
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<沿革> 江戸時代初期の地誌『宇和旧記』に、得能主膳の城とある。主膳は河野氏の分流得能氏 の一族とみられ、土地の伝によれば得能氏の本貫地である周桑郡徳田村(現西条市)の出 とされる。浪人した後に萩森城主宇都宮房綱に属し、九町・二見浦一帯に241石4斗2升を 領したと伝わる。『町見村郷土史』によれば主膳の諱は通明とされるが、確証はない。 九町周辺には、主膳の墓とされる石塔のほか、ゆかりの地とされる史跡が点在している。 ただし、主膳の動向や没年、長崎城の築廃城時期などは不明である。 <手記> 長崎城は、佐田岬半島南岸の九町浦に臨む峰の中途に築かれています。山裾を上がる 一本道を進むと説明板があるので、入口を見つけるのは難しくありません。駐車スペースも 1台分あります。ですが、ここから少し注意が必要です。看板脇の舗装された小道を登ると、 こぎれいな神社に行きつきますが、登城路はその手前を右手に入る堀底道になります。 私が訪れたとき、すぐ隣の畑にいた方にご挨拶をして道をうかがったのですが、この道を 行けるものかと少々逡巡していたところ、その方が鎌を片手にわざわざ来て下さって、倒木 や枝葉を薙ぎながら先導してくださいました。しばらく行くと両側に立派な石積みが断続的に 現れましたが、すべてかつてのミカン畑のものだとも教えてくださいました。 道がなくなったところで、鎌を片手のおじいさんが山手によじ登ったので私も後に続きます。 すると開けた場所に出て、ここがどうやら主郭のようです。おじいさんによると、20〜30年前 までここには先のミカン畑所有者の小屋があり、簡単な寝泊まりぐらいはできるようなもの だったとのこと。今ではコンクリートの基礎やわずかな生活遺物が埋もれています。 主郭にも小屋にともなう石積みが設けられていますが、北東辺にはそれとは違う、城跡の 遺構と思われる土塁が残っています。麓の説明版の図によれば、この土塁は先のミカン畑 の奥に、かなり下の方まで続いているようですが、藪を分けて探すのはかなり骨でしょう。 主郭の下に1段曲輪が付随しているように見えるのですが、全容を把握するのは困難です。 また、説明板によれば主郭の背後に堀切があるようですが、これもド藪で近づくこともかない ませんでした。 ひと通り案内していただいた下り道、おじいさんは「もう10年以上登ってなかったから、久々 に来られて良かった」ということをおっしゃっていました。こちらの方こそ、1人で行っていたら 心細さと不確実性をよそに主郭まで辿り着けていたか分からないところを、わざわざ仕事の 手を止めて案内していただいて感謝感激でした。 さて、得能主膳について詳細は定かでありませんが、九町は細長く険しい佐田岬半島に あって、伊方と並ぶ貴重な平野を擁する地区です。伝承の多さも相俟って、半島ではかなり ランクの高い領主であったものと推察されます。 |
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説明板のある城址入口。 | |
登城路のようす。 | |
道中にはこうした石積みが続きます。 遺構ではなく、ミカン畑の風除けだそうです。 |
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主郭の土塁。 | |
主郭のようす。 | |
腰曲輪か。 | |
石積みに囲まれた小屋のあった場所。 | |
長崎城址を望む。 (中央左手のピーク) |
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道の駅伊方きらら館から城跡を望む。 (同じく中央左手のピーク)。 |