篠原城(しのはら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 平維盛か
 遺構  : 不詳
 交通  : 加賀温泉駅からバスに乗り、
      「雪の科学館前」下車徒歩3分


       <沿革>
           寿永二年(1183)の篠原の戦いに際し、平維盛を総大将とする平家軍が拠ったとされる。
          倶利伽羅峠の戦いでの敗北を受け、維盛は篠原に陣を布いて木曾義仲を迎え撃ったが、
          惨敗を喫して京へ逃げ帰った。


       <手記>
           篠原の古戦場は柴山潟から新堀川が流れ出る潟口にあります。すなわち、前面に水の
          防衛線を張っており、迎え撃つには好地と思われますが、これで惨敗するとは士気が相当
          低かったということでしょうか。
           古戦場碑の背後には手塚山公園があり、木曾義仲の重臣・手塚光盛にちなんだ名称と
          思われます。その頂部には城郭風に見えなくもない展望台があり、山のあちこちに削平地
          が散見されますが、遺構なのかは不明です。そもそも、局地戦である篠原の戦いに際して
          設けられた陣城であれば、大きな造作は施せなかったでしょう。城砦が存在したとすれば、
          時代はだいぶ下るのではないかと思われます。
           篠原の戦いといえば、なんといっても斎藤別当実盛の最期が有名ですね。総崩れとなる
          平家軍の殿を務め、光盛に討ち取られた実盛は、かつて幼い義仲の命を救った恩人。その
          首は、本当に実盛であれば相当な高齢であるにもかかわらず髪が黒々としており、近くの
          池で洗わせたところ、みるみる白髪となった。図らずも命の恩人を手にかけてしまった義仲
          は、人目もはばからず涙にむせんだというくだりです。
           園内には首洗池があり、実盛の首をおし抱いて虚空を見上げむせび泣く義仲主従の像が
          涙を誘います。城跡というよりは、『平家物語』の名場面を訪ねに来た形となりました。

           
 篠原古戦場跡碑。
首洗池。 
 実盛の首をおし抱く義仲の像。
帝塚山山頂の展望台。 
 展望台からの眺望。


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