亀井城(かめい)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 亀井氏か
 遺構  : 不詳
 交通  : 小田急線柿生駅よりバス
       「亀井服飾造形短大入口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』の「上麻生村」の項に「小字亀井 亀井と云人居住せしより かく
          よべりともいへり」とあり、その居城を亀井城と呼ぶとしている。
           麻生総鎮守・月読神社の縁起には、天文三年(1534)に領主小島佐渡守が天下泰平・
          五穀豊穣を祈願して、「亀井城の卯(東)の方」に社殿を建立したとある。
           亀井城に関する史料や証拠はこの他になく、今のところ伝承の域を出ていない。


       <手記>
           亀井城比定地は、麻生川と真福寺川に挟まれた台地の南端にあります。城館の存在
          を裏付けるような史料や遺構は見つかっていないため、あくまで伝承上の城ということに
          なります。
           ただ、『記稿』の口伝はともかく、月読神社の縁起については全くのでたらめとも思え
          ません。おそらく、この地に麻生郷の領主がいて、居城や居館が営まれていたのは事実
          ではないかと推察されます。また地形的にみても、舌状地形を成す月読神社周辺に城館
          が築かれていたとしても不自然はありません。
           月読神社の「卯の方」の逆、すなわち西側一帯は台地の付け根側にあたり、住宅地と
          なっています。境内との間の北側には谷戸が切れ込んでいて、あるいは堀切に繋がって
          いたとも考えられます。ただしその場合、どちらかというと境内の方を主郭とみるのが自然
          でしょう。境内のさらに東側先端方面には古墳群がありますが、直接城砦の遺構に関連
          しそうなものは見当たりませんでした。
           直感的には現在の住宅地のあたりに館城があり、台地先端側の詰城の一隅に月讀宮
          を勧請したとするのが、最も合点がいくように思います。

           
 亀井城址遠望。
城の東側に建てられたとされる月読神社。 
 境内先端部の古墳。
境内西側の切れ込んだ谷戸。 
堀切に繋がっていたか。 
 西から谷戸越しに月読神社を望む。
月読神社西方の現況。 
こちらに館城があったものか。 


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